第223回 「栄光の碑(佐良浜中)」

atalas

2019年03月05日 12:00



いよいよ伊良部4校の学校石碑を巡るミニシリーズも今回で最終回となりました。これまで伊良部小学校佐良浜小学校伊良部中学校と紹介し、最終回は佐良浜中学校です。現在、この佐良浜中学校の校庭に、来春開校する小中一貫の「結の橋学園」が絶賛建設中です。そんな佐良浜中学校から紹介する石碑はその名も「栄光の碑」です。

校舎に挟まれた中庭に建つ「栄光の碑」は、学校のクラブ活動の歴代の成果をまとめて記念したものです。これまでも下地小学校佐良浜小学校でも、似たようなプレートをはめ込むスタイルの碑がありましたが、佐良浜中学校の「栄光の碑」はなかなか面白いデザインになっています。
花壇の中央に八芒星型の台座があり、その上に「栄光の碑」と刻まれた碑が建っています。台座の部分には無数のクラブ活動の成果が記されています(16面中12面まで埋まっている)。
そもそもこの碑は創立五十周年の記念に建立されたものです。
碑  文
本碑は母校の更なる飛躍発展を祈念し本校生徒の活躍を讃え、創設五十周年記念事業によって建立した。
 尚、本碑には、文化・スポーツ等に於いて、県大会で優勝または、最優秀及び九州、全国大会等に出場し、母校の名声を高めた優秀な生徒を顕彰するものである。
2000年2月6日 建立
創立五十周年記念事業期成会
顕彰する明確な基準があるのは、なかなか良い事です。そしてなかなか凄いのは、この碑に記されている最も古い記述が、1965年であることです。

番組の途中ですが、ここで簡単に佐良浜中学校の沿革を解説しておきましょう。
佐良浜中学校は戦後、1948年に伊良部中学校の分校として設立され、翌1949年に正式に独立した中学校となります。開校当初は佐良浜小学校に併設となっていましたが、1952年に新校舎を現在のサバオキ園地に建設しました(明治期にはここに佐良浜小学校が建っていたらしい)。
サバオキ園地は今でこそ公園化されていますが、1969年に現在の校地に中学校が移転しあとは、自動車練習場になっている時期がありました(教習所ではありません)。
1999年には佐良浜中学校は創設50周年を迎え、今年、2019年で70年目となります(開校記念日は5月5日なので、周年にはあと少し足りない)。現場からは以上です。



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さて、話を「栄光の碑」に戻しましょう。
最も古い記録が1965年なのです。当然、復帰前で、大会名も「全琉中学校排球大会」男子優勝というものです。いわゆるバレーボールの県大会初制覇(プレートにもそうかいてある)ということになるのですが、当時は沖縄県大会でな全琉大会。つまり琉球国で一番バレーボールが強い中学校になったということでいいですかね?。
この記録に続くのが、復帰後の1977年に県大会で優勝、九州大会で準決勝進出です。さらに次は1998年に県大会で優勝、九州大会で5位、全国大会に初出場で決勝トーナメント進出と破竹の快進撃が続きます。
ここでよくよく見て欲しいのか、1977年の時のマネージャーとして名前の挙がっている友利直喜氏。1998年では監督としてチームを指揮しています。しかもこのあとが凄い。2000年、2002年、2004年と6枚に渡ってその強豪っぷりをふるっています。しかも、これが単に監督が凄いというだけではないのです。
先々週に取り上げた佐良浜小学校のバレーボール大会の活躍を覚えていますでしょうか。その時活躍した世代の児童たちが、辻向かいの佐良浜中学校に入学し、そのまま中学生大会で活躍してしまうという、とてつもない展開になっているようなのです。さらにこれがインターハイ4度(2003、2004、2009、2010)、春高バレー2度(2005、2009)に出場した県立伊良部高校にもつながっているようなのです(2003年から伊良部中・佐良浜中と連携型中高一貫教育開始し始めたが、伊良部高校が2019年度から募集を停止。2020年度末には廃校となる模様)。
ちなみに、当時の佐良浜中学校の監督であった友利直喜氏は現在、平良の北中学校の校長をされています。

【左 賢く 優しく 逞しく】 【右 博愛 勤労 自治】

佐良浜中学校。実はあまり石碑がありません。「栄光の碑」がある中庭に一枚。「賢く 優しく 逞しく」という学校の定番のスローガン系の碑。でも、こちら、出自がまったく判りません。しかも、このスローガンは学校の掲げている公式のものとも異なります。
50周年誌によると、「栄光の碑」の建立、中庭の改修、そして記念植樹と庭石2個寄贈という記載があるので、このあたりがあやしいかと。
では、オフィシャルなスローガンはというと、校門を入ってすぐのところに校章とともに建立されています。「博愛 勤労 自治」となんか中学校にしてはちょっと社会派寄りの文言が並んでいます。創立35周年の1983年に建立されたようです。この翌年、宮古高校伊良部分校として島に高校が誕生しています(独立校化は1986年)。

【左 校舎の裏から見た外廊下】 【右 校門脇にある二等水準点】

なんと、以上で佐良浜中学校にある石碑はおしまいです。他の3校に比べると拍子抜けするくらい少ないので、他にもないかと、くまなく校内を巡ってみましたが見つけられませんでした(2等水準点はあった)。
その代わりと云ってはナンですが、面白いものがあったので紹介しておきたいと思います。それはこちらのサバニです。さすが海洋民族の末裔が暮らす佐良浜です。しかし、このサバニはハーリーをするものではありません。なぜなら船底がないのですから。なんと底がない代わりに車輪が着いています。
実は運動会で披露される、佐良浜中学校名物「大漁」という学校伝統の出し物に使うサバニなのだそうです。


【上 底なしサバニ】 【左 宮古新報 2013年より】 【右 宮古新報 2015年より】

運動会シーズン開幕、最高の演技 笑顔 (宮古新報 2013年9月10日)
秋空の下、力いっぱい 佐良浜中、来間小で運動会(宮古新報 2015年9月8日)
ちょっと気になる演目です。どこかネットに動画とか落ちてないかと探しましたが見つけきれませんでした。

気になるといえば、もうひとつ。学校前の交差点の一角に耕作地があります。ここは「佐良浜中生徒の農園」という手作りの看板が建てられています。気になるのはこの看板の裏面です。裏には「世界一美しい島 伊良部町立佐良浜中」と書きこまれていてます。ストレートに書かれた言葉が、なんかちょっといいですね。

さて、いよいよ本ミニシリーズのエンディングです。
来春、伊良部の4小中校が統合されて開校するのですから、やはり「結の橋学園」には触れておかなくてはなりませんね。
小中一貫の学校として誕生する「結の橋学園」ですが、これ、実はただの愛称なのです。学校の本名は「宮古島市立伊良部島小学校」と「宮古島市立伊良部島中学校」になります。
つまり、池間小中学校のように併置校ではなく別々の学校なので、小中それぞれに校長先生がいることになるのです。なのに、校長先生は学園長的な位置づけで、ひとりなのだそうです(でも、教頭はふたり)。これはなかなか面白い展開です。

この「結の橋学園」はどこに作られるのかと云うと、佐良浜中学校の校庭に絶賛建設中なのです。2019年4月開校なのですが、すでに3月の頭ですが、なんとまだこの状態です。
現在、宮古島では、20193月末開港の下地島空港、2019年3月末配備となる自衛隊施設、2019年7月開館の未来創造センター(新図書館・公民館)、2020年供用開始予定のクルーズ船専用岸壁、2021年度開庁予定の新市庁舎などなど、巨大公共工事の槌音がドッカンドッカン響いているのです。いわゆるハコモノ建設に余念がありません。
その結果、建設業者、重機、資材モロモロが大幅に不足し、島外からヒトとモノが大量に流入し、工事業者らの宿泊施設も不足して仮設住宅を緊急増設。必然的に工賃の急騰(市井の物価もうなぎのぼり)する一方、工事技術の低下(精度や練度が低い)という、いままで見たことがない島の情景となっています。
いっぺんにあれこれやりすぎているので、急速にあれもこれも不足していいます。もちろん工期(時間)も足らなくなっており、工事の進捗はいずれのプロジェクトも遅れ気味です。
件の「結の橋」も校舎の完成は開校には間に合わず、残念なことに5月末の引き渡しになるのだとか。そんなこんなで「結の橋」の開校式は、当初の4月7日から5月26日へと延期となるようです。ただし、4月8日の始業式と同9日の入学式に変更なく、授業も新校舎で実施するとのこと。ホントなの?。
 工事遅れで開校式延期へ/伊良部島小・中学校 5月26日検討(宮古毎日 2019年3月1日)
これらすべてが完成した未来の宮古島はいったいどうなるのでしょうか(里山を開墾する圃場整備と、その関連となる農水の工事も島内あたちこちでガンガンやってます)。誰か未来視をして教えてあげてください。


ともあれ、新時代の伊良部島へと進むため、伊良部4校はそれぞれの歴史に終止符を打つ、閉校式が3月に催行されます(中学校は3月10日、小学校は3月22日)。いよいよ見納めの時が迫ってきました。巡るなら今しかありません、お見逃しなく!。

【加筆修正 20190306】

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