宮古島で開催されるトライアスロンは、島をまるこどフィールドにしてアスリートが駆け巡る大型スポーツイベントで、毎年4月に開催されています(2017年は
4月23日開催されました)。
第1回大会は1985年4月28日に開催されて以来、2017年で33回を数え、2015年の第31回大会から伊良部大橋がコースに加わったことでルートが変更になり、バイクの走行距離が136キロから157キロに変更になりました(スイム3キロ、ラン42.195キロは変わらず)。
こちらの石碑はそんな宮古島のトライアスロンがスタートして、3年目の1988(昭和63)年に国土庁長官賞を受賞記念に建立されたものです。
石碑の下に解説板があったのでそれを紹介したいと思います。
宮古島の活性化を目指して創設された「全日本トライアスロン宮古島大会」は、いまや地域づくりのもでるとして、全国的に高い評価を受けています。
その大会を支え島づくりに取り組んだ宮古郡民の熱意が昭和63年度の国土庁長官賞の栄誉に輝きました。
この記念碑はすべてのストロングマンの栄光をたたえるとともに、宮古郡民の偉業を後世に伝えるために建立するものです。
平成元年4月吉日
宮古広域市町村圏協議会
会長 下地米一
寄贈 日本航空・南西航空
受賞者は当時、トライアスロン事業を主催していた宮古広域市町村圏協議会となっています(平成元年に一部、宮古広域圏事務組合組への織変更などもありましたが、現在は市町村合併によって主催は宮古島市となり、宮古島トライアスロン実行委員会を中心に開催されています)。
受賞理由はトライアスロンによる地域づくりが評価されたということのようですが、すでに国土庁も国土交通省再編されてしまい、どんな賞だったのかいまひとつピンとこなかったのですが、探してみたら、国交省のHPからリストが出てきました(しかし、読んでも結局、ピンとこなかった)。
地域づくり表彰受賞事例(昭和59年度~平成19年度)※pdf
これによると宮古広域市町村圏協議会は、第5回(昭和63年度)に国土庁長官賞を、宮城県・みやぎ北上連邦協議会、長野県・人形カーニバル飯田実行委員会とともに受賞していました。 推薦件数47件とあるので応募して内容が精査されて取れる賞なのかもしれません。
ちなみ、石碑タイトルの「翔けスポーツアイランド宮古島」の左下に
昭和六十三年十一月
国務大臣 国土庁長官
内海秀男
と記されており、もしかしなくても揮毫した人なのでしょうか。
なんとなく気になったので軽く調べてみたら内海秀男(1922-2005)は旧宮城2区選出の二世議員(父親は内海安吉)で、宮古広域市町村圏協議会が国土庁長官賞を授与された1988年に、国土庁長官に就任しています(ちなみに、同じ年に受賞した、みやぎ北上連邦協議会は彼の選挙区に含まれている)。
けれど、もうひとつ書いてある建設大臣の就任期間は1982年から1983年だったようでなので、碑文の肩書はちょっと盛っているようですね(田中-竹下-小渕派と渡り歩いた建設族議員だったようです)。
話がそれましたが、この石碑のまわりには、歴代の優勝者(男女)を讃えたプレートがずらりと張られています。個人的に強い印象がある選手といえば、前人未到の4連覇(1999-2002)したピータークロプコ(ハンガリー)。日本人では2015年、2016年と連覇を果たした戸原開人でしょうか。他にも懐かしい名前の優勝者のプレートがいっぱいあるのですが、なんでこんなにいびつな壁面に貼られているのかと思ったら、なんとこの石碑の台座になっている部分は上から見ると、宮古島の形をかたどっているのでした(上空から見ないと判らないのですが、場所柄、松林がありGooleMapでは見れませんでした)
ともあれ13時間半の競技時間中に、泳いで漕いで走ってゴールするストロングマン(トライアスリートの別称で宮古島大会でよく使用される)は、凄いということです(安い感想)。
最後になってしまいましたがこの石碑はゴール地点の総合運動場の道向かいにある、総合体育館の敷地の一角にあります(隣は元・
OHKで、旧・宮古広域市町村圏協議会だった場所です)。
今年からトライアスロンの競技前後に行われる選手登録受付や開会式、ワイドーパーティー、表彰式、ふれあいパーティーの会場が、これまで使われていたこの総合体育館から、空港前に新造されたJTAドーム宮古島に替わってしまったので、ちょっとこの石碑の周辺も淋しくなってしまうかもしれません(ゴール地点は変更ないので見るチャンスが無くなる訳ではない)。
【参考】
全日本トライアスロン宮古島大会