宮古島市市制10周年記念シリーズ第4弾は、宮古の西北、伊良部の島に~2005年まで存在した伊良部町役場です。最近、伊良部大橋橋詰近くに、「
紺碧」なる名前の高級リゾートホテルもオープンしたので、ちょっとばかりネタから始めてみました(くだらないけど判った方だけお楽しみくださいW)。
これまでならドーンっと伊良部町役場の銘板石をトップに掲げるところなのですが、なんと旧・伊良部町役場の銘板石がどこにもありません。役場敷地内にも、周辺のそれらしきところにも。どうも保存されることなく撤去されてしまったようです。なので、庁舎前の県道端にある「伊良部町民憲章」をかわりに掲げてみました。すでに合併によって伊良部町は消滅してしまいましたが、この憲章のような町(地域)であり続けることを願います。
【伊良部町略史】
1908年(明治41)4月1日 島嶼町村制により、宮古郡伊良部村が成立。
宮古島から西北に5キロにある伊良部島と隣接する下地島が町域となったが、伊良部島東部の佐良浜地区は平良間切であった池間添と前里添、西部の伊良部地区は下地間切であった佐和田、長浜、国仲、仲地、伊良部から構成されている。異なる間切に所属していたからだけでなく、まったく異なる集落の村建の歴史があることから、宮古島市となった今でも、旧伊良部町の人たちは、伊良部と佐良浜をきっちりと区別して使い分けています。
1982(昭和57)年4月1日 町制を施行し伊良部町に昇格。
2005(平成17)年10月1日 5市町村が合併して、宮古島市となる。
2015(平成27)年1月31日 宮古島と伊良部島を結ぶ、伊良部大橋が開通(3540メートル、日本最長の無料橋)。
他に伊良部町時代を語る石碑はないものかと、役場(現・宮古島市伊良部庁舎)界隈を探ってみると、役場の駐車場入口の植え込みに「町制記念」の碑がありました。
町への昇格は1982(昭和57)年のことですが、前年の1981(昭和56)年2月8日までは国仲交差点の南側(現役場から南に800メートル)に伊良部村役場があったことを、
第18回「下地島~那覇間 定期航空便就航記念碑」で紹介しており、わずかな期間ですがこの庁舎は伊良部村役場でもあり、伊良部村→伊良部町→宮古島市と三世代に渡って役所を担った、宮古で唯一の建物であることが判明しました(他市町は途中で建替えや移転をしている)。
確かに、眺めてみると伊良部庁舎はかなりの年季が入った建物ですが、庁舎2階の廻りベランダや、隣接する別棟とを結ぶ渡り廊下など、意匠が凝らされており、完成当初は洗練された建物だったのではないかと思われます(2階建て。建物裏の駐車場側に開いた半地下階があるので、実質は3階建て)。
銘板石ではありませんが県道204号長山港佐良浜港線(バイパス区間)には、風雨にさらされてペイントが少し薄れていますが、未だに「伊良部町役場」のトラフッィクボードが町章とともに設置されています。
オマケの見どころ(マニアック編)
役場前の県道沿いの雑草の中に、かなり格好いい解説石板も据えられた「二等水準点 第20710号」が隠されています(もったいない)。
役場入口のロビーにはケースに入れられた伊良部大橋の主航路部を架設するクレーン船のジオラマがあります。主航路部の工事は
見学会も行われ、間近で見るクレーン船の大きさと、海上での精密な施工には目を瞠りました。
【伊良部関連 んなま to んきゃーん】
第9回
「独逸商船遭難救助 佐良浜漁師顕彰碑」
第16回
「伊良部大橋開通記念碑」
第17回
「伊良部丸遭難の地 慰霊碑」
第18回
「下地島~那覇間 定期航空便就航記念碑」
第19回
「公教育発祥之地」