第4節 「十五夜あそび」

atalas

2015年09月04日 12:00



お盆の次の楽しみは、旧暦八月十五日。そう、中秋の名月、十五夜です。

集落によっては綱引きや棒踊りなどの集落行事もあるようですが、平良(平一・北学区)あたりでは「シーシャガウガウ」です。
年に一度、十五夜の日だけは、子どもたちだけで堂々と、日の暮れたあとの街に繰り出します。
数人でひと組になって手作りの獅子を持ち、近所の家をまわって獅子舞を披露するのです。舞ったあとは、その家の大人からお菓子やちょっとしたお小遣いをもらえます。それはまるで宮古のハロウィン!!。

大人が演ずるの獅子舞は、「シーサータース」といいますが、子どもがやると、「シーシャガウガウ」になります。
シーシャ(獅子)+ガウガウ(獣が口を開閉させる様子をあらわす擬態語、犬の鳴き声とかも表す)という意味です。なんてわかりやすい!。

現在は、いつの間にか男子も女子もシーシャガウガウ。いつからそうなったのでしょう。少なくとも私が子どもの頃(昭和の最後)は、男の子だけでした。両親から「あれは女の子はやらん」って言われていました。

母が言うには、昔は女の子にもやることがあったとか。隣近所で、重箱にご馳走を詰めて広場に集まり、十五夜ユカニという小さな舞台(月見台)をつくって、女の子たちはその台の上で歌ったり踊ったりしたのだそう。歌や踊りということは民謡なのか?と思ったら、「学校で習った童謡とか唱歌とか、あと流行りの歌とか」だそうです。
その台の下で皆お重を広げて食べていたのだそう。この月見遊びは、母が大きくなる頃まではやっていなかったとのこと。

ちなみに、皆で持ち寄ったお重の中身は?というと、

 ・ピーナツを串刺しにして食紅で染めたもの
 ・花イカ(イカを食紅で赤くしたもの)
 ・天ぷら
 ・おすし
 ・おはぎ

ですって。あば?(あれ?)、おはぎ?。宮古の十五夜といえば「フカギ(※)」じゃないの?(※地域によって「フキャギ」「フチャギ」とも言います)。
フカギは、お餅の表面に小豆をまぶしたもの。塩味なので、持ちと言えば甘い味付けを期待してしまう子どもに、受けは良くない。私も苦手でした。
母の話では、彼女たちが子どもの頃に食べたのは、おはぎで、十五夜のフカギは大人になってから知ったとのことで、平良以外から来た風習ではないかと話しておりました。

さて、当時は男の子だけがやった「シーシャガウガウ」は、昔も変わらずご近所巡り。
シーシャは、現在は段ボールなどでつくっていますが、昔は木で獅子の顔をつくってペンキを塗り、ヤシの皮でひげや髪をつけ、胴はチョーチンガー(麻袋)でを使い…となかなか本格的なものだったそう。おそらく近所の中高生のニーニー(お兄ちゃん)たちがつくってあげていたのではないか、とのことです。
おそらく家々の厄払いなのか?と思うのですが、「なんのために」というところははっきりとわからず…。

かくして私の子どもの頃、十五夜のシーシャガウガウは男の子だけのものと言われ、家から月を眺めておりました。そんな中、インニャー(通りの西側の家)の同級生はじめ、近所の男子たちは立派なシーシャ(お獅子)を持ってウチに訪ねてきて、ちゃんと獅子舞を舞ってみせて、それにウチの親がお小遣いをあげているわけですよ、うまく舞えると500円とか。もう、嫉妬心メラメラでした。

「男子だーけ、いーばぁゆー(いい思いをして)!」

ある年、あまりにもすねる私と妹に、父が簡単なシーシャをつくってくれました。材料は、何かのお祝い事とかお盆などの時なんかにお菓子が詰め合わせてあった白い箱と、お菓子箱とオードブルのビニル風呂敷。なぜ捨てずにとっておいたのか今も謎ですが、とにかくそれでちゃちゃっと工作してつくってくれました。
それを持った私と妹は喜び勇んでアガンニャー(通りの東側の家)のおじさんの家(注:親戚です)へ出かけました。そこで見よう見まねのよたよた獅子舞をやってみせ、20円もらいました。やっほぃ!。


そんな思い出もあり、ここ10年ぐらい、十五夜の季節になると、私もシーシャをつくっています。父がつくってくれたのより、もっとずっと小さなお菓子の箱とハンカチを使ってつくる、パペットサイズのシーシャです。つくったものは、何をするでもなくただ飾ったり、その時期に同郷の人に会う用事があればついでに持って行って見せたり。年に一度、宮古のことを思い出しながら工作をする機会になっています。

今年の八月十五夜は新暦9月27日(日)です。さて、今年はどんなシーシャをつくろうか…。
《第一金曜担当》 本村佳世-モトムラカヨ-
手賀沼のほとりに暮らす、平良系純血種の宮古人です。
ATALASネットワークでは、おもに経理とホームページを担当し、方言と旧暦について勉強しています。

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