第138回 「忠魂碑(城辺)」
6月に入りました。ハーリーも終わってそろそろ梅雨も明ける頃になると、沖縄は23日の「慰霊の日」に向けての催しや企画などが多くなって来ます。この島の石碑を巡る旅「んなま to んきゃーん」は島に点在する石碑を題材にしており、これまでもいくつか戦争に関する石碑を紹介してきました。偉人の顕彰する碑、偉業を讃える碑、完成を祝す記念碑などと並ぶほど、戦争の記憶を記す石碑が島にはたくさんあります。
慰霊の6月ということで、月間企画として少しばかりシリーズで取り上げてみたいと思います。初回の今週は城辺町の忠魂碑です。
城辺小学校の裏手の丘脈に、天を衝くように高くそびえた忠魂碑が建立されています。「忠魂碑」の揮毫は元帥公爵山縣有朋で、昭2年8月に建立されています。
忠魂碑と慰霊碑は似ているようで、実は随分と異なっています。忠魂碑(ちゅうこんひ。宮古ではなぜか“ちゅうこんぴ”と半濁音で読まれることが多く、破裂音の多い島の言葉の癖なのではないかと思ってています)は、日清戦争や日露戦争などの戦争に出征し戦死した、地域出身の兵士を弔うために建立された記念碑で皇国礼讃の意味合いが強く、現存する碑はおおむね戦前に建てられたものがほとんどなため、第二次世界大戦(太平洋戦争)で亡くなった方は含まれていません(時系列の具合から厳密とは云えないが)。これはGHQが忠魂碑を軍国主義的な意図を有する碑と捉えたことから、戦後に建てられた戦死者を弔う碑は慰霊碑して建立されるようになりました(ただし、慰霊碑の場合は戦死者のみならず、事故や災害でなくなった方を弔う碑という意味もある)。
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