第114回 「佐良浜かつお漁100年記念碑」

atalas

2016年12月20日 12:00



佐和田550年、伊良部仲地700年とやったのならば、佐良浜も黙っていないとこでしょう。っと、勝手な対立構造を作って煽ってみました。が、都合よく集落の周年碑があるはずもなく、今回は漁業の町・佐良浜らしい「佐良浜かつお漁100年記念碑」を取り上げてみることにしました。

かつおのレリーフに船の形を模した石碑が建立されている場所は、旧旅客船ターミナルと旧漁協(建替え中)の間、伊良部大橋方面へ抜ける坂道の下にあります(少し離れ所に「独逸商船遭難救助 佐良浜漁師顕彰碑」もあります)。

石碑にある建立の経緯説明によると
佐良浜において、明治四十二(1909年)に御幸丸外一隻の漁船(テンマ船≒伝馬船)によって一本釣りかつお漁が創業し、二年後の明治四十四年(1911年)には、三隻が増え漁徳丸、御幸丸、杉本丸、有朋丸、上等丸の五隻で本格的に操業した。

先人達に敬意を表すとともに、その偉業を讃え先達の伝統と誇りと、かつお漁への感謝と、海への畏敬を込め記念碑を建立する。

          平成21年7月12日 建立
          佐良浜かつお漁100年祭実行委員会
と、ありました(一部句読点と伝馬船を加筆)。

平成21年は2009年にあたりますので、2016年の現在、107年目あたります。そして、もちろん佐良浜のかつお漁は今も続いています。素晴らしいですね。
佐良浜のカツオ漁については、島の本棚でも取り上げた、仲間明典・著『佐良浜漁師達の南方鰹漁の軌跡』や、宮古かいまいくいまい(シーズン2)で紹介した「六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン」などを参考にしていただけると幸いです。

先々週、先週の流れもありますので、佐良浜の集落についてもまとめておきたいと思います。

18世紀中頃(1720年?)、琉球王府の命によって池間島から強制移住させられ、最初の14戸が伊良部島に定住しました。最初に住み始めた地は佐良浜の語源となった「佐那浜」の地。現在残っている字名から察するに、旧池間添の船着場(2013年に解体された伊良部離島振興総合センターの西側にあるあ東屋の公園部分)に隣接する小さなエリア。埋め立てで海からは遠くなってしまいましたが、古い写真など見ると擁壁のコンクリートが今も残っていたりします(沖縄県公文書館)。

旧伊良部離島振興総合センターの敷地に建つ、かつおのオブジェ(佐良浜漁港修築記念碑)

伊良部村史では佐那浜のことを「ザラザラとした“さざれ石”のような浜辺」と紹介していますが、さざれ石は複数の小石同士が石灰質の作用でコンクリ―ションされて結合した岩なので、どちらかと云えば山あいで生成される石なので、ここでは恐らく石灰質の湧水の作用によって生成され、島で多くみられるビーチロックの事ではないかと、個人的には考えます。

最初に作られた村も池間島同様に「池間邑」と称され、村としての形が次第に整って行きますが、まだ完全に独立した村とは云えません。その後、1766年に佐良浜の池間邑から、前里邑を分村します(仲地村、長浜村と同時期にあたる)。この時点で現在の集落の区域が整ったことになりますが、集落について記述されている「雍正旧記(1737年)」などには記載がなく、公式な集落とはいいがたあいまいな状況が続きます。これは恐らく池間島との交流(よく云われているのが、狭い池間から出耕作に伊良部に通っていた)が続いていたと思われます。
早い段階から集落化は進み村としての機能も充実していたようではありますが、あくまでも池間島の村の延長だったようで、間切の区分も佐良浜は池間島と同じ平良間切に振り分けられます。ひとつの島でありながら下地間切となった伊良部地区の理由も、同様の村建ての延長にあることを考えると、伊良部の島立て、村建ての奥深い複雑さがとても面白くあります。

では、現在の佐良浜。池間添と前里添と公式に村(集落)化されたのはいったいいつなのか。なんと驚くなかれ1903年、明治36年になってからなのです。勘の云い方は年号を見てピンと来たのではないでしょうか。そうです。この年は人頭税が廃止された年。つまり、旧慣温存の年貢から、地租による税制に変更されたタイミングで、佐良浜の二村は添村として独立しました(新税法導入に伴い再度検地が行われた)。

乱暴な言い方かもしれませんが、これである意味、土地に縛られて農業を強いられる以外の選択肢が生まれ、鹿児島出身の鮫島幸兵衛が池間島で漁を始めたかつお漁が、1909(明治42)年には佐良浜でも漁が始められます。次第に漁獲高も増えて行くと、愛媛からカツオ節工場の女工を招き、佐良浜でのカツオ節の製造も始められました。

その後、佐良浜のかつお漁は南洋へ進出、太平洋戦争、終戦、オイルショックと様々な波乱を乗り越え、1982(昭和57)年には日本初の近代パヤオ漁を開始します。物語以上にドラマチックなかつお漁の歴史を知ると、100年は伊達ではないことを感じさせてくれます。詳しくは伊良部漁協の公式ホームページ「佐良浜の漁業」をご覧ください。

最後に、伊良部島に佐良浜ありと云われますが、伊良部島に佐良浜という村は一度として作られたことはなく、その名は唯一無二の地域名としてこれまでもこれからも使われてゆくことでしょう。そんな不思議な感銘を、ネタとして綴っているうちにどことなく覚えたのでした。
「佐良浜かつお漁100年記念碑」


「佐良浜漁港修築記念碑」

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