第27回 「えんどうの花のふる里」
今回ご紹介する石碑-いしぶみ-は、上野地区新里にある「上野村教育発祥之地」(
第15回)の碑の隣りに建つ、「えんどうの花のふる里」という碑です。
「えんどうの花」とは大正期に作られた歌で、大勢の人たちに広く親しまれた名曲。この歌のを作詞した宮古出身の金城栄治を讃えた碑です(※1)。
歌詞はコチラ
しかしながら「えんどうの花」と検索すると、おおむね作曲者である八重山出身の宮良長包(みやらちょうほう 1883-1939)が作った曲として知られています。
その上、2006年には宮良長包の生誕120周年を記念したドキュメンタリー
映画も制作されましたが、映画の
HP書かれている解説では、「えんどうの花の歌詞は、金城栄治先生が書かれました」という一文が書かれているのみ。
確かに宮良長包がメインの映画ですから、いくらタイトルになった「えんどうの花」の作詞者とはいえ、金城栄治はあくまで脇役にすぎませんけれど、ちょっと残念な扱いになっています。
もっとも宮良長包に比べ、金城栄治についはほとんど知られておらず、さまざまに痕跡をたどってみても、詳しいことがあまりはっきりと判らないのが実情のようなのです。
碑面の解説文
金城栄治(一九〇三~三〇)
砂川間切西里村(現平良市下里市場通り)に生育し、沖縄県立一中を卒業後、新里尋常高等小学校に教師として赴任し、在職中に名曲「えんどうの花」を作詞された。同じ作曲家宮良長包氏とのコンビで他に「ふる里」「旅心」がある。
建立 平成二十年一月十九日
寄贈 セブン会
※1これまで那覇市垣花の出身とされていましたが、甥の金城昭夫氏によって宮古島市生まれであることが明らかにされているそうです(ただし、本籍は那覇市垣花町。場所は明治橋の南詰、ほぼ全域が那覇軍港で御物グスクがあるエリア)。
今回で4月期の上野編はいったん終了し、5月期からは平良編に突入しますが、金城栄治の碑-いしぶみ-はそのまま後編へと続きます。
連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定 [モリヤダイスケ]
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