2014年11月18日 12:00
頌
盛島氏は一八八〇年下地町字洲鎌に生まれた。長崎医療専門学校を卒業、後に政界に進出、県議会議員四期、うち議長を三期、さらに国会議員二期当選。その間に宮古中学校の創設、宮古高等女学校の建立への移管。宮古島測候所や池間島灯台の設立など幾多の政治的業績を遺した。
中でも宮古中学校の創設に当って、氏が期成会長として東奔西走献身的努力を拂(はら)い、幾多の障害と困難を克服して、一九二八年一月遂に同校創設という郡民宿願を達成した業績は、永久に群民に銘記されるべきところであろう。
又、氏は宮古農会長及び織物組合長として斯業(しぎょう)の発展にも大きな貢献をなした。その上、氏は円満高潔にして人情味豊かな人格と、烈々たる愛郷心のゆえに「宮古王」として、全郡民の敬慕礼讃を一身に集めていたが一九四一年、六十二歳で病没。郡民葬をもって弔われた。
氏の業績を遺徳を顕彰するために期成会が結成され、広く郡の内外から浄財が寄せられここに氏の胸像が建てらるに至った。
一九六五年九月十一日
盛島明長顕彰会
※碑文は一部、読みやすくするために改行及び句読点の追加、ふりがなを加筆した。
連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定 [モリヤダイスケ]