第204回  「大地報恩」

atalas

2018年10月09日 12:00



えー、毎度おなじみ「島の石碑を巡る旅」でございます。連載200回を越えてもなお健在しつづける、驚愕の自由研究です。とりあえず、自爆気味のお祭り三部作もどーにかこーにか終わり、通常運転の再開です(三部作、全部読み切った人なんているのかなぁ~感想が聞きたい)。
さてさて、再開の一発目です。また初手で地味な井戸まわりをやってしまうと、またですか~?っとため息が聞こえてきそうなので、そこはぐっとこらえてコチラをチョイス。えっ、なにそれ~っと別の悲鳴が聞こえて来そうですが、まあまあ、遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ!(といいつつ行き当たりばったりの拙筆)。

と、いうことで「大地報恩」です。この石碑はなんなのかと申しますと、ひと言でいえば土地改良が完成したことを記念して建てたられた石碑にすぎません。これまでもこの系統の石碑はいくつか取り上げてきましたが、自己主張がとても強い事が多いのに、ここの石碑はとっても奥ゆかしいです。ともすれば雑草に埋もれ、見えなくなっていることもあるくらいなのです。
もうし遅れました。この石碑の位置ですが、伊良部島です。字は佐和田、神山原とか野福原と呼ばれるあたり。県道204号長山港佐良浜港線の佐和田と前里添(佐良浜)の間あたりです。
まあ、ぶっちゃけこの碑そのものにはこれ以上の情報がありません。なので隣に建っている農林水産省補助による県営総合農地開発事業の説明板の力を借ります。
面積や事業費や負担区分とか、それほどここでは重要ではないので、画像を参考していただくとします。この説明板から欲しかった情報は工期です。昭和53年度から平成5年度までと、かなり長い期間になっています。西暦に換算すると1978年度から1993年度ですから、工期は16年間(年度末は1994年となるので)ほどかかってたようです。そこから察すると、石碑は工事が終了した1994年頃に建立されたと類推できます。

【左 1970年代】 【右 2000年代】 (clickで大きくなります)

国土地理院の1970年代の空中写真と、ほぼ最新と同等の2000年代のGoogleMAPを見比べると、ちょうど年代的にも開発のビフォーアフターといったところになります。判りやすく、看板の事業区域に絞って確認してみると、綺麗に四角く区画された中にふたつの大きな森と、右に左に湾曲した古い道が部分的に残っていることが判ります。
道はかつて佐和田の集落方面から、島の東側に向かって伸びる、畑小屋(パリバンヤー)の往来に古くから使われていそうにローカルルートのようです。なぜこの区間だけが、古いまま残されているのかははっきりしませんが、なんらかの禁忌があったのかもしれません。しかし、特に御獄や墓があるようにも見えません。若干、土地が低い区域があり排水池が大きく取られているような場所もあります。空中写真では畑も見受けられるので、極端に土地が悪い訳でもなそさぅなので、なにかを残さねばならない見えないなにかがあるのかもしれません。
また、ふたつの森ですが、このあたりは松の林が広がっていたそうです。といっても戦前の話で、戦時中に軍が資材として接収したため、今はひょろりとした形の悪い松が僅かに残っているだけです。
ちなみに当時の軍は、集落そぱにある嵩原御獄(佐和田ユークイ)や、腕山御獄(長濱ユークイ)周辺。県道を挟んだ南側(字長濱)の屋原や小禄(ころく)。もう少し南の大多良や、北方の白鳥原(字佐和田)あたりに駐屯していたといわれています。


そんな森うちのひとつ(東側)は、大竹中(ウプタキナカ)と呼ばれる実は大きな穴(ドリーネ状)になっており、シカの骨や人の歯の化石などが見つかった洞穴もある市指定の天然記念物(地質)となっています。
ここがなかなか野趣に富んでいてなかなか面白いのです。畑の脇の小径から穴へ下って行くと、徐々に植生が変化して地上とはちょっとだけ雰囲気の異なる穴の底面に到着します。穴の壁面に沿って奥へと進んでゆくと、鍾乳石をたずさえた横穴があったりと、地形的な面もなかなかに興味深いものかあります。
奥の方まで進んで行くとと小さな広場があり、やっと空が少し開けます(緑の茂り具合で変化)。どことなくジュラシックパークを彷彿させる気がするので、恐竜が覗き込んで来るのではないかと妄想させてくれます。
穴の壁面に沿って進んでゆくと、大きな岩の裂け目や潜りたくなるような岩穴など冒険気がを盛り上ります。また、ドリーネの底というやや特殊な植生環境は、地表であまり見られないオオクサボク(ウドノキ)の群落があったりします。

このウプタキナカは伝承によると、沖永良部島から流れ着いた人々にがここに暮らしていたとされ、北から南からあちらこちらから人がやって来たと云われている伊良部島に、人が住み始めたきっかけのひとつとなっています。伊良部島の民俗移動については「字佐和田村落生誕五百五十年記念之碑(第112回)」でも語っています。余談ついでのどさくさで、浪漫あふれるこちら、「字伊良部・仲地 村落生誕七〇〇年記念之碑(第113回)」も紹介しておきますね。

尚、ウプタキナカへの冒険についてですが、草木が生い茂り足元が悪い場所もあるので、訪れる際には長袖、長ズボン、靴、軍手、帽子など肌を守る服装でおでかください。

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