今回取り上げるのは、「ん to ん」の連載史上、初めてとなる記念樹です。といっても、おそらく「ん to ん」的には、記念樹の隣ある記念樹を植栽した記念柱が対象なのではないかと思いますが、一応、記念樹の前には解説プレートまでもが設置されていますので、ここは記念樹をメインに据えておきたいと思います。まあ、それに記念樹本体も琉球石灰岩を抱え込んだガジュマルですし、もしも、仮に、万が一、この記念樹が枯れてしまったとしても、関連するなにかは残る確率は高そうなので取り上げてみました(滅多なことで枯れそうにはないけれど)。
実際問題として記念植樹的なものは、記念碑と並んで島では多く植えられています。おそらくは石碑を作るより安価であり、植樹するスタンスがマスコミ映えするうえに、施設の完成記念などでは緑の景観を作るという点で、かなり大量に植えられたリしています。
しかし、植生の管理がずさんな施設や場所では、記念樹の育成がすこぶる悪かったり、下手をすればすでに枯れていたりと、悲惨なことになっているところもしばしば。ひどいところでは記念樹の隣にある植樹記念柱ばかりが目立っているなんてことも。
記憶している中で、もっとも凄かった「事件」は、植物については一目あるはずの宮古島熱帯植物園のリニューアル工事で、歩道に植えられていた「新婚の森」のヤシを無断で伐採したという出来事でしょうか。
「新婚の森」のヤシ伐採/記念植樹した50本(2015年4月8日 宮古毎日新聞)
記事によると、1979年ごろから旧平良市と観光協会が中心になり、宮古島を訪れた新婚旅行者が市熱帯植物園の「新婚の森」に記念植樹をしたおよそ100本のヤシの半数が、遊歩道整備で植樹者に連絡もせず伐採され、ヤシの木に掲げられていた植樹者のプレートも現場に散乱したままという、なんともずさん過ぎる事件がありました。
もちろん、現在はこの植樹事業はおこなわれていないのだけれど、観光協会に保管されているはずの植樹者名簿が無くなっており、「名簿が保管されておれば連絡する予定だった」と釈明する始末。過ぎたこととはいえ、寝言は寝て云えの世界です。
今の世の中、SNSなどで呼びかけて拡散させれぱ、全部とは云わずとも少しは反応はあったかもしれない。そうすれば市としても大きな話題に出来たのではないだろうか。もしかしたら、思い出の地を増えた家族とともに再び訪れてくれたかもしれないし、訪れてくれたら致し方なく“切る”かわりの代替えとして、再植樹を植物園にしてもにうことで、さらなるニュースになったろうし、歩道が完成した際にも開通記念に歩き初めしてもらうなどすれぱ、より宮古島に来てくれる機会が増えたのではないだろうか。そしてそれは呼びかける期間を設けたことで、たとえ工事が一年遅延したしても、きっと金額以上のものが島に届く気がするは、ただの妄想癖に過ぎないのだろうか。
植物園関連でひとつ。まあ、どうでもいいといえば、どうでもいい話なのでですが、公園を管理している宮古島市では当たり前ですが、きちんと
「宮古島市熱帯植物園」と施設の呼称を謳っているにもかかわらず、沖縄県の環境部環境再生課が紹介する「花と緑の名所100選」だけ、どういう訳か、ずっと
「宮古島市亜熱帯植物園」のままになっているのです。県、市、どちらが間違えたのかは謎ですが、未だに修正されていないというのも、ずさんのひとことにつきますね。
っと。与太話が長くなりましたが、ささやかに本題です。
今回紹介している「MY17原生酵母発見記念樹」は、城辺砂川にある多良川の醸造所の脇に植えられています。
なんでもバイオエタノール実証実験を進める中、MY17という原生酵母が近傍にある製糖工場で発見され、多良川ではこの酵母を使った泡盛を醸造したという物語がそこに紡がれます。
そんな酵母の発見を記念したのが、こちらの記念樹なのですが、この岩とかガジュマルから酵母が見つかったわけではないので、この記念樹そのものに特に価値はなく、あくまで記念というだけになります。また、この酵母を使って作られた泡盛についても気になるところなのですが、すでに過去に幾度か販売されましたが、本数限定ということから超絶的に入手困難な銘柄となっています。
「MY17 3年古酒 40度」(2016年)
「無垢」(2017年)
※いずれも
多良川より。
なんとなくですが、イマイチ話題が広がらないので、ここからはいろいろと小ネタの与太話を並べてみることにします。
まずは、一番くだらないのが、
コチラ。
記念樹の前のストリート―ビューなのですが、なんと画面の真ん中で、蝶がひらひらと舞っているのです。なんとも凄いタイミングです。
ちなみにストビューの撮影は2012年なので、まだ記念樹は植えられていません。
続いては多良川自慢の洞窟貯蔵庫
「ういぴゃーうぷうす蔵」について。
この自然洞は位置的に、どうやら戦時中、防空壕として利用さていた「クスヌトゥブソミャー」なのではないかと考えられているのですが、多良川への調査によると、「そんな名前は知らない」とけんもほろろに追い返されてしまったそうです。残念なことに、知られざる謎解きへの協力はかなわなかったようです。
尚、多良川は酒造所としてだけでなく、見学できる施設として観光地化もされているため、そこここに案内板や石板石碑が設置されているので、薀蓄を知るのには事欠きません(その手の石碑も多くあるのですが、取り上げるほどでもない気がしています)。
最後に個人的に、何の気なしに眺めていて気付いた、多良川のパッケージについての妄想多良川ネタ。
宮古口で俵のことを「ターラ」と呼びます。
そして泉(転じて川の意)のことを「カー」と呼びます。
そして多良川のラベルには、米俵が描かれてることに気付きました。
現在、宮古では米作りをしていませんが、豊富な水量の得られる湧水がある地域では、かつては稲作がおこなわれていました。
もちろん、泡盛も米を原料として作られているわけですが、俵を詰み重ねられるほど米が穫れた場所にある泉という意味の「ターラ・カー」なのかもしれないという妄想です。
多良川の会社としての解説によると、豊富で質の良い湧水、多良川にあやかって名付けたとしか書かれてはいません。
でも、この多良川の所在地である砂川(うるか)も、「ウル」の「カー」が地名の語源です。
ウルは珊瑚(うるまのウルと同じ)、珊瑚砂とか珊瑚浜的な意味も持つことから、ウル=砂に湧く泉で「うるか」。
これに漢字をあてて「砂川」と呼ぶくらいなので、「俵の泉」が多良川であったとしても、ウイットに富んでいて、なんかちょっといいような気が、勝手にしていました。果たして正解は如何に・・・。
【MY17について・・・】
宮古かいまいくいまい
「原生酵母の島酒づくり」