第177回 「文部大臣賞(スポーツ部門)受賞 顕彰碑」

atalas

2018年03月20日 12:00



今回ご紹介する石碑は、スポーツ関係の顕彰碑です。宮古島市はスポーツアイランドを標榜していますが、意外なことにそれほどスポーツ系の石碑はありません(やはりこういうのは文系の仕事なのでしょうか?)。ただ、学校まわりでは我が子の成長を誇示するかのごとく、かなりの数、記念碑やプレート、モニュメントなど建立されています。けれど、学校モノのスポーツは実はいまのところ取り上げていません。理由としては、石碑のエピソードがとても細かい話が多いことと、一校あたりの数量があまりにも多いことです。その上、出場年次が複雑であったり、多岐に渡る競技種目であったり、市・県・全国など出場区分も複雑で、出場しただけなのか優勝なのか、成績もさまざまでまとまりに欠けることから、二の足を踏んでいるといったところです。ごめんなさい。。。

ということで、今回も学校関係ではなく、下地町青年会のパレーボールチームに関する石碑です。こちらの石碑は、下地体育館の裏手にひっそりと建立されています。それでまずは説明がてら、石碑裏の説明文をどうぞ。
 この顕彰碑は、昭和三十年代下地町青年会バレーボールチームが、郡下で無敵を誇り昭和四十二年に県代表として、日本青年団協議会スポーツ大会に出場し以来、永年にわたりスポーツ振興に尽力したことが認められ平成五年十月文部大臣より表彰を拝受いたしました。
 ここに下地OBバリーボールクラブ結成三十年を記念し、下地町より優秀なスポーツ選手の排出を念願する。
平成八年十一月
強かった青年会のバレーボールチームを顕彰し、後年のOB会の周年記念も兼ねている石碑のようなのですが、どうも記録というよりは記憶の世界が強いようで、大雑把に云いきってしまうと“オッサンが呑み会で昔の自慢話”的な匂いのする石碑のようです。
そこで、名誉のために過去のざっくりとした栄華をちょっと洗ってみました。

まず、石碑に記されている「日本青年団協議会スポーツ大会」についてです。ぶっちゃけ、そんなタイトルの大会はありません。
けど、云わんとしてることを汲み取ると、参加したと考えられる大会は、「日本青年団協議会」という、字面だけ見るとちょっと怪しそうな組織が主催する、「全国青年大会」というのが公式名称で、一応、全国規模の競技大会になりです。
碑に記されている呼称と大きく違うのには、主催である日本青年団協議会の活動に絡んでいるので、もう少し解説をさせていただきます(かくいう自分も知らなかったので、調べて判って来たこと)。

まず、日本青年団協議会ですが実に大正期にまで遡り、1925(大正14)年に結成された大日本連合青年団が発祥となります。
有名な活動というか、よく知られているものとしては、コンサート会場などとして親しまれている日本青年館(初代は1925年の結成と前後して完成。その後、1979年にレンガ色の二代目に生まれ変わり、2017年に現在の三代目となった)があり、この団体の主要施設です。
で、だから、どういう団体かというと・・・。
日本全国の青年団組織を取りまとめる組織で、Wikipediaによると主な事業として、全国青年大会(後述します)と、全国青年問題研究集会(複雑で説明し辛いですが、研究発表をするものらしいです)があるそうです。事業内容もなにかと複雑な感じを受けますが、団体自体も成り立ちや活動などが、どことなくさまざまなものに翻弄され続けて来たような雰囲気もあって、ざっくり判ればいいのかなと思いつつ・・・。ま、緩くそんな団体です(判ってない)。

そして件の全国青年大会。こちらは1952(昭和27)年に第1回大会が開催され、35歳以下の青年を対象とし、日ごろ取り組んでいるスポーツや文化活動の発表の場として、全国から各都道府県の代表が、毎年11月に東京で開催されています。
えー、すでにお気づきとは思いますが、そうなのです。全国青年大会とは、スポーツだけでなく文化部門というのがありまして、非常に面白い大会となっているのです。とはいえ、近年はスポーツ振興くじ(toto)の助成金をもらうために、スポーツと文化を別枠の大会に分離するという方向に進んだそうです(同時開催はしている模様)。

沖縄県がいつから全国青年大会に参加しているのか、はっきりとしなかったのですが、1992年の第41回大会では、復帰20年ということで、沖縄県団が先頭で入場行進をしたという記録があります。
また、今回紹介している石碑の下地町青年団の参加は、昭和42年ということなので、復帰前の1967年には参加していたということになります。どんな風にして東京まで参加したのか、とても興味深いのですが特に資料らしい資料が見つけられず、現状では謎のままです。ある意味、これは語り草にしたくなるトピックスのような気がしますので、顕彰する碑を建ててしまったというのは、なんか判る気がしなくもありません。

ちなみに青年団ですが、日本青年団協議会への加盟団は道府県単位でしか加盟することが出来ないので、自治会単位などで組織された広義の青年団が直接加盟、参加することはかないません。なので「オラが村の青年団」が、いきなり日本一になるようなことはありません。

ここでもうひとつ、とても重要な問題があります。
碑文のタイトルに「文部大臣賞(スポーツ部門)」受賞とあるのですが、これについて今回、なにも解説していないことです。そもそも日本青年団協議会は任意の団体であって、文部省(現・文部科学省)の下部組織でもなんでもありませんので、この賞の受賞についてはなんら関係がありません。また、問題なのはこの文部大臣賞そのものが、幅が広すぎて受賞団体も多くて、授賞理由もあやふやで、よく判らないという賞なのです(多分、スポーツ功労団体賞とは思うが、確証がない)。誰かきっちりすっぱりスッキリと解明してくれる方はいらっしゃいませんかねぇ~?。

では、本当に最後にもうひとつだけ・・・。
今回のネタを調べていて気付いたのですが、現在の日本青年団協議会の会長は、なんと沖縄の人でした。照屋仁士さん(南風原町)が、2015年から努めているのだそうです。ちょっとびっくりしました。
日本青年団協会長に照屋仁士さん 県内から初(2015年3月23日 琉球新報)

【資料】
日本青年団協議会
全国青年大会
日本青年館

【スポーツ関係石碑】
第57回 「海邦国体記念碑」
第143回 「翔けスポーツアイランド宮古島」

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