第173回 「慰霊碑(下地)」

atalas

2018年02月20日 12:00



えー、先週の続きです。先週は上野村の慰霊之塔を取り上げましたが、文中でしれっと下地については、言及をしなかったのに気づきましたでしょうか?。
実は、『平良、城辺、下地、伊良部の各村は、太平洋戦争以前に建立された「忠魂碑」が存在しています』と、書きながら、『戦後になり「慰霊碑」と名を変えた太平洋戦争の戦没者を慰霊する碑は、平良、城辺、伊良部では「忠魂碑」と並んで建立されている』と続けていて、意図的に下地を触れていません。
もちろん、理由は今回、こちらの石碑を紹介するからなのですが、少しばかり下地の「忠魂碑」と「慰霊碑」の事情は他の地域と差異があるので、その辺もあわせて書くことが出来ればと思います。

まずは今回ご紹介する石碑から。こちらは西暦2005(平成17)年に「改築」された、日露戦争以降の戦没者227柱を合祀した下地町の慰霊です。
ここでまず問題になるのは、作られた2005年です。
この年の10月に5市町村が合併して宮古島市になっていますから、この慰霊碑の建立は下地町としての最後の仕事と思われるのですが、完成した月日が石碑には記載されていません。
そしてもうひとつ。「改築」されたと、石碑に附設された小さく短い解説板に書かれいるのです。つまり、新設ではなくなにかしらの慰霊碑、石碑がこれまであって、それを作り替えたということを物語っています。
疑問に思って資料を調べてみると、元々は1961(昭和36)年7月に、下地地区遺族会によって慰霊碑が建立されていたことが判りました。
そしてどうやら2005年の4月に改築したことが判明しました。残念ながら旧・慰霊碑についは建立されていた場所や石碑の形状や状態などを知る手がかりは探しきれませんでした。ただ、現在の慰霊碑が建立されている場所が、上地交差点の旧下地町役場(現・下地保健福祉センター)の敷地内ですから、年代から考えるに町役場時代に建立され、役場の移転後もここに残ってだったのではないかと思われます。
尚、合祀と書かれていますが、上野と同様に遺骨はここにありません。

さて、平良、城辺、下地、伊良部の各地には、戦前に建てられた忠魂碑があり、下地を除く平良、城辺、下地、伊良部3市町村は同じ場所に慰霊碑が建立されていることは前述した通りです。
下地の忠魂碑は別の場所にあります。それは以前にも紹介した下地神社(ツヌジ御嶽)の境内にはあるのですが、こちらの忠魂碑はかつて何者かに叩き壊され、石碑がバッキリと折られ打ち捨てられています。こうした破壊例は宮古では池間の奉安殿など数か所に見られます。いずれもどことなく一時の激情に駆られて打ち壊したと伝えられており、ある意味ではとても瞬発力高い島の気風の現れのではないかと思ったりもします。
【下地の忠魂碑】


【関連石碑】
第138回 「忠魂碑(城辺)」
第139回 「忠魂碑(平良)」
第140回 「忠魂碑(伊良部)」
第141回 「二重越・豊旗の塔」
第172回 「慰霊之塔(上野)」

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