第171回 「かぎすまみやーぐん」
2月に入って南国宮古も寒い日が増えています。暖房器具がないとか、着るもの着てないとかよく云われますが、北よりの冷たい風が強い上に、下の方からしんしんと底冷えがします(あんまり血流のよくない人なので末端が冷たくなっていることがある)。
そんな冬の宮古はキビ刈の季節でもあります。近年はハーベスターが増え、昔ながらの手刈りが減ったといわれますが、一族郎党、親戚家族総出で畑に集まって、キビを刈る風景はやっばり風物詩ですね。雨が降るとハーベスターは稼働できないそうですが、手刈りの場合は多少の雨では作業中止にはならないので、キビを刈っていたらたとえ小雨が降っていても、それは降っていないのと同じ。逆にキビ刈が出来ないほど降っていたら、それは雨という区分になるとかならないとか・・・。
今回紹介する石碑は「かぎすまみやぐん」というちょっと形の変わった石碑です。この特徴ある形は街道筋にあるので、見たことがある方も多いのではないでしょうか。県道202号宮国線沿い、テマカと宮国のカーブの区間にあります。
ちゃんと石碑をチェックする以前は、勝手に「交通安全祈願」系の石碑だと思い込んでいました。というのも設置場所がスピードのでるカーブにあるし、舟型にパイナップル?のような独特な石碑の形状から、てっきりそっち系だろうと思い込んでいました・・・。
ところが、石碑を詳しく調べてみたらまったく違っていました。
なんと圃場整備の完成記念というシロモノでした。
宮国地区は上野村の南西部に位置した畑作地域であるが、急傾斜地域であるため、雨による土砂の流出が激しく畑は痩せ、保水力が乏しいために、恒常的に干ばつの被害を受けて来た。
このような農地の改善と農業所得の向上を目指し、地域住民一丸となって上野村及び沖縄県に土地改良事業の推進を強く要望してきた。
昭和五十一年には県営ほ場整備事業が採択、平成二年度には国営地下ダムを水源とする。県営かんがい排水事業が採択されは、平成十六年三月、すべての施設が完成した。
この節目に“かぎすまみゃーぐん”のゆいまーるの心・博愛の心で農業振興に意欲的に励むと共に、土地改良事業推進に尽力された関係機関への感謝の意をこめ、ここに記念碑を建立する。
とゆーことだそうな。
たしかにみの石碑のある場所は大きな丘で、西側の海に向けて長く下っており、圃場整備された真っ直ぐな道を通して、遠く来間島も望むことが出来ます。
また、丘の上の方。石碑の北側には
テマカ城跡があります。城跡と云っていますここは平城であり、内地の城のように天守閣があるような城でもないので、とりたてて構造物があるわけではありません。どちらかと云えば、豪族の根拠地といった感じの屋敷跡のような雰囲気です。実際、こちらの城跡にも石垣は一応、あったそうなのですが戦後の混乱期に、建築資材として利用するために持ち去られてしまったため、ほとんど石垣も残っていません。
また、城跡の内部はマキナカ御嶽という聖地になっています。「マキ」は「牧」といわれることがあるので、もしかするとマキナカ御嶽の周辺は、昔、牧場だったのではないかと想像しますが、想像以外に特に根拠がありません(祭神も特筆することのない、テマカ集落の里御獄)。
字面の話でひとつ思い出したネタをひとつ。タイトルの「みやーぐん」は、宮国のことを表しています。特に、「ぐん」の語源は「郡」であり、「邦」とか「國」と同じような意味になります。そして古くは村とか集落を意味する言葉で、「群-ぐん-」を「ふん」とか「くん」とか読んでいたそうです。これは伊良部島の牧山御獄が、佐良浜では「クンマウキャー」とか「コンマウキャー」とか「コンマキヤー」と云い慣わしていたのと同じ理屈であり、語源になるようです。
そうした意味を連ねて考えると、同じ上野でもお隣の新里は、いまでこそ「シンザト」と呼んでいますが、ちょっと前では「アラサト(アラザト)」と読んでいました。意味を考えても単純に新しい里という意味になりますので、「サト」は「フン」よりも新しい言葉であると考えることが出来るのではないかと愚考します。
それにしてもこの石碑の形はなにを意味しているのでしょうか。下の部分は舟形なのはなんとなく判りますが、上の部分は一体なんなのでしょう。なんとなくてっぺんの形からパイナップルではないかと考えましたが、パイナップルが特産なわけでもありませんから、意匠がよく判りません。誰か謎解きしてください!。
【関連石碑】
第158回
「井戸鑿堀記念碑(ハイテマカ)」
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