5冊目 「宮古史伝」
今月の一冊は、お待たせしました!慶世村恒任の不朽の名著『宮古史伝』です。昭和2年に書かれたこの本は、宮古の歴史という縦糸に、神話から民俗まであらゆる事項が織り込まれ、宮古の豊穣な世界がまるごと書かれたまさにバイブル的傑作です!
“史籍は現在に立つて未來を照らすサーチライト”
(「宮古史伝」序文より)
この著作で彼は「宮古学の父」となりました。1927(昭和2)年に発行されたこの本は、宮古だけでなく、郷土史研究の金字塔と呼ばれています。
慶世村恒任は1891(明治24)年4月1日に平良間切下里村で生まれました。沖縄師範学校に進みましたが、病気のために中退を余儀なくされています。その後、代用教員として新里小学校などに勤めた時に、一児童の質問を受けます。
「宮古にはどうしてお話がないの?」
物知りだった祖母や母の元で育った恒任にとって、そのひと言はまさにショックで魂を揺さぶられるひと言であったに違いありません。この言葉が彼のその後の人生を決定しました。
宮古の物知りとは、ふたつの意味があります。ひとつは、「ムヌスゥー」(いわゆるユタのような、物事を見通す力のある人)として、もうひとつは「知識」がある、賢い人という意味です。どちらもお話しの宝箱のような人です。恒任はそのような「宮古随一の物知り」として歩んでいくことになるのです。そして、宮古島のあらゆる文献、資料を調べ、さらに各地の伝承や歌までも記録して、宮古のすべてが詰まったこの『宮古史伝』を完成させたのです。
『宮古史伝』には、宮古島の創世記神話から始まり、按司の時代、豊見親の時代、大親の時代(島津侵攻後)、明治・大正時代のサンシー事件までの通史という一本の糸が通っています。その中に御嶽にまつわるエピソードが入ったり、宮古のあやご(綾語)も巻末に収録されています。また、バラザン(藁算)やユウサ(ゆりかご)など、宮古の民俗についてもさまざまに述べられています。
それは恒任自身が病弱な身体をおして、宮古をくまなく調査した成果であると同時に、祖母と母、そして妻の力が支えとなっていたことでしょう。
宮古では本が台風やシロアリの害で傷むことも多く、そして私家版が多いために、残存する古い書物がとても少ないところです。『宮古史伝』も戦前から戦後にかけて2度再刊されましたが、一時は宮古馬のように、この世から失われかけました。
それを惜しんだ吉村玄得(『海鳴り―宮古島人頭税物語』の著者)の努力と幸運に恵まれて、1976
(昭和51)年にまたも復刻再販されました。その後、2008(平成20)年に冨山房インターナショナルから、仲宗根將二氏の解説付きで新版として発売され、現在普通に手にとることができるようになりました。
このように、郷土文化を愛する宮古の人々の想いが繋がって今この本があるのだと思うと、あらためて先人の情熱に感謝します。
“誠や史籍は現在に立つて未來を照らすサーチライトというべく敢えて本書をものせし所以もここに存するのである”(「宮古史伝」序文より)
今の宮古島も100年後、1000年後には、さらに先の未来を照らして、光り輝くサーチライトとなるのです。
[書籍データ]
新版 宮古史伝
著者 :慶世村恒任
発売元 :冨山房インターナショナル
発売日 : 2008/12
ISBN :490238566X
【謝辞】 今回の執筆にはN先生の全面的なご協力をいただきました。
《第二金曜担当》 江戸之切子(えどのきりこ)
東京生まれ。東京在住。日々宮古島に想いを馳せながら、身近なみゃーく情報を集めています。
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