東京は梅雨が明けて夏日の続く7 月です。今月の「島の本棚」はこの3月に刊行されたばかりの新刊書、下地理則著『シリーズ記述文法1 南琉球宮古語伊良部島方言』を紹介します。先日、
伊良部高校の入学生の募集停止のニュースがありました。刻々と変わる島の状況を考えながら読みました。
本書の初めには、編集委員会より「シリーズ刊行にあたって」という文章が載っています。それによると、本シリーズは、「東京外国語大学の
アジア・アフリカ言語研究所の研究活動の一環として企画され」、「いわゆる少数言語」、特に「これまでまったく,あるいは十分には調査研究されてこなかった言語(もしくは方言)」を対象に扱っていくそうです。編集委員には世界各国の言語を扱う著名な先生方が名を連ねています。そんなグローバルなシリーズの第1弾が宮古の伊良部島方言って、すごいことですね!
また、「本シリーズは専門性を高く保ちつつも、当該言語の専門家以外にも理解できる文法書を目指している。」とあります。執筆者が現地に赴き、「文法全体」と「格闘」を続けることの重要性が語られています。つまり、少数言語を研究するとき、話者から聞き取りはできても、体系はすぐにはわからない。その言い方が正しいか不自然か、言えるのか言えないのか、を教えてもらい、文法規則を探ることが言語研究者の役割なのです。それはもちろん簡単なことではなく、「文法記述の営みには終わりがない。」といいます。
さて、著者の下地先生の編著は2017年1月の「島の本棚」でも紹介させていただきました。(
『琉球諸語の保持を目指して-消滅危機言語めぐる議論と取り組み』)そこに、少数言語が消滅していくことは避けられないとしても、
“記述言語学者たちは、消えつつある危機言語を体系的に記述・記録するスキルがあり、それを実践する責任がある。”
と書かれています。その責任を果たされていることに敬意を表します。
300ページを超える内容は、確かに専門性が高く難解にみえますが、例文にある「サトウキビ倒し」「イモの葉っぱ」「彼は平良にいる。」などの生活語彙に親しみを感じます。言語の勉強が好きな人には読み応えがあるでしょう。伊良部島方言ネィティブの人は、むしろ脳内再生される音声から発音記号を逆に学ぶことができるかも!?
最後に、下地先生によるあとがきが本当に素晴らしいので、ぜひ本を手に取ってご一読ください。
現在の言語学業界の周りでは、研究領域の細分化が進んで、各専門(文法とかアクセントとか各品詞とか)の研究者は他に関心を示さないこともあるそうです。また、仮説の検証に役立たせるために特定の現象のみを取り上げたり、その場しのぎをしたり、そもそも深く考えずにフィールドにやってくる人もいるとか(以上は、私の勝手なまとめですので、詳しくは本書を読んでください)。そういうのはたぶん言語の業界だけではなく、多くの研究者がうなずくところとだと思います。
“端的にいって、筆者はそういう現在の言語学の主流にうんざりしている。”
おお!、そう言い切って書いてしまう勇気!。続いて、下地先生は、もともと人類学志望であり、そういう入口の経緯もあって、「言語そのもの」「内的一貫性」に関心があるといいます。
“一度立ち止まって言語全体を俯瞰することは重要である。言語体系は、個々のパーツ(現象)が有機的に繋がっていて(中略)ゆっくりと変容していく”
“これらの事実に気づく唯一の方法は,実際に自分で言語体系全体を扱って、ひとつの記述モデルとして示すことである。”
そうして伊良部島方言と悪戦苦闘した結果を、“認めなければならないことがある。伊良部島方言は本当に手強い相手で,本書によってこの言語体系を満足いく形で示せたとは到底思えない。完敗である。”と表現しています。
“言語に対して謝辞をいう研究者はこれまでいなかったと思われるが、「対戦相手」の伊良部島方言に対して深く感謝の意を表したい。あんたは最強だ。これからもよろしく。”
こんなに胸の熱くなるあとがきもそうありません。
そして明かされるのは、下地先生のお父様が伊良部の人で伊良部島方言を母語とし、しかし下地先生自身はその方言を聞くことも話すこともなく育ったということ。
“父から継承できなかったものを、今更ながら継承したいと考えたからである。その試みに賛同し、惜しみなく協力してくれた父に、本書を捧げる。”
この本が発する熱さと強さは伊良部の情熱そのもの。小さな島の果てしなく豊饒なことばの世界に旅立てる一冊です。
〔書籍データ〕
シリーズ記述文1
南琉球宮古語伊良部方言
著者 /下地理則
発行/くろしお出版
発売日 / 2018/3/26
ISBN /978-4-87424-760-0